2021年1月20日、トミー・ゲレロ(Tommy Guerrero)はニュー・アルバム『サンシャイン・ラジオ(Sunshine Radio)』をリリースした。
コロナ禍の真っ只中にあり、ロックダウンの最中にもトミー創作活動を止めることはなかった。彼が影響を受けたファンク、ソウル、サーフ、マカロニ・ウェスタン、そしてアフロビートにデザート・ロックなど、さまざまな音楽を包括し、その中にトミーならではのオリジナリティを加えた新しい音は、アンビエントの色合いを垣間見ることができ、さらにエモーショナルな作品として仕上がっている。とりわけ今回は、スピリチュアル・ジャズ、アフリカ音楽、マカロニ・ウェスタンの要素が強いのも特徴だ。そんなトミーのロングインタビューが、カリフォルニアから届いた。その中でトミーはアルバム制作の話はもちろん、音楽と幼い頃のスケートボード生活、人種差別問題、アルバム制作にも大きな影響を与えたアメリカの社会情勢なども語っている。今回のWeekend Sessionでは、トミーのインタビューを中心に、この『Sunshine Radio』と同日にリリースされた、トミーと彼をサポートしてきたミュージシャン、ジョシュ・リッピ(Josh Lippi)と結成した新しいユニット、ロス・デイズ(Los Days)のアルバム『シンギング・サンズ(Singing Sands)』 -トミーとジョシュが南カリフォルニアのワンダーバレーという砂漠エリアに旅し、大自然の中で制作したインストゥルメンタル・アルバム-などの話を交えてお届けしよう。
インタビュアー:バルーチャ・ハシム廣太郎 (Hashim Kotaro Bharoocha)
Photo by Claudine Gossett

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アルバム『Sunshine Radio』の制作はいつから始まり、どのくらいかかったのでしょうか

トミー・ゲレロ(以下TG): 確か、2019年の終わりから今年までレコーディングしていたよ。急にクリエイティブになってレコーディングに没頭したり、しばらくレコーディングしない時期もあったんだ。でも、このアルバムはもう完成して何ヶ月も経っている。コロナ禍によるロックダウンが始まる前にレコーディングし始めたんだけど、大半の素材は昨年の終わりにレコーディングした。実は、すでに次のアルバムの素材もレコーディングし終わってるんだけど、その作品ではバリトン・ギターを演奏しているからサウンドが違う。ロックダウン中は、レコーディングする時間がいっぱいあったんだよ。息子の世話もしないといけなかったから、息子と過ごしている時は、あまりレコーディングができない。レコーディングする時は、最低でも一人で4時間制作に没頭する時間が必要だからね。本当は『Sunshine Radio』を20年の7月にリリースして、日本でオリンピックのイベントに出演したり、ジャパン・ツアーをやるはずだった。10月からヨーロッパのツアーもする予定もあったんだけど、キャンセルになったよ。

2020年は世界中がコロナ禍に席巻され、アメリカでは人種問題や警察による黒人の暴行事件が続出しましたが、このような社会問題はこのアルバムにどのような影響を及ぼしましたか?

TG: アルバム制作中にアメリカで起きた社会問題は、主に曲のタイトルに影響を与えた。「Evolution Revolution」、 「Of Things to Come」、「A Thousand Shapes of Change」、「Up from the Dust」、「Rise of the Earth People」、「The Road Under My Shoes」のタイトルは、アメリカで起きた社会問題と直接関係があるんだ。

前作の『Dub Session』ではダブとブレイクビーツのアプローチを組み合わせていましたが、新作はファースト・アルバム『Loose Grooves & Bastard Blues』や『The Endless Road』など、あなたのルーツとなるサウンドを取り入れつつ、よりアンビエントで抑制された、時には不穏なサウンドが際立っています。このサウンドの変化には、社会情勢からの影響もあったのでしょうか?

TG: それは間違いなくあったね。今の時代を反映させたサウンドを作り出したかった。今のような激動の時代を乗り越えるには、誰もが心の落ち着きを必要としているから、アンビエントの要素が増えたんだと思う。だから、落ち着いたサウンドの曲もあれば、張り詰めた緊張感が漂う曲もある。こんな社会情勢だから、誰もが少しは精神的に不安定になっているわけだけど、それが緊張感のあるサウンドとして現れている。だから、曲を作っている時に感じていたエモーションによって、サウンドが変化した。アルバムを制作している時に、アンビエントなアルバムを作ろうかと思った時期もあったんだ。そうすることで、平和な気持ちをみんなに与えたかった。希望に満ちた曲も入っているから、多様性のあるサウンドやエモーションが表現されている作品に仕上がったと思う。

あなたは、もともとベーシストのバックグラウンドから来ているので、グルーヴ感が強い曲も入っていますが、全体的にメロウで落ち着いたサウンドにしたいという意図はあったのでしょうか?

TG: 俺は即興的に曲を作ることを大切にしていて、目の前にあるパーカッション楽器を使うことが多い。 そこからベースラインを演奏するんだけど、それが曲のフィーリングを作り上げるんだ。どんなギターのフレーズをプレイしたとしても、パーカッションとベースの絡み方が曲のムードを作り上げる。メロウな土台があれば、メロウなアプローチでギターを演奏するし、ヘヴィなグルーヴが土台にあれば、ギターはもっと激しくプレイする。

『Sunshine Radio』をリリースする前に、あなたのツアー・バンドのベーシストであるジョシュ・リッピとのユニット、ロス・デイズのアルバムもリリースされましたが、その作品について教えてください。

TG: ロス・デイズのアルバムは、ソロ・アルバムの前にレコーディングしたんだ。南カリフォルニアにあるワンダーバレーという砂漠でレコーディングしたんだよ。友人の家がそこにあって、そこに機材を持ち込んで、事前に何も決めずにレコーディングし始めた。前もって作った曲は一つもなくて、砂漠にいた1週間の間にすべて作り上げたんだ。ジョシュは素晴らしいミュージシャンだし、友達だから、アイデアを出し合って作る作業が楽しかった。来年の春になったら、ワンダーバレーにまた二人で行って、ロス・デイズのセカンドをレコーディングしようと話し合ってるんだ。

ロス・デイズのサウンドは、非常にマカロニ・ウェスタンの影響が強く、その要素は『Sunshine Radio』にも反映されていますが、この二つの作品に関連性はあるのでしょうか?

TG: いや、このサウンドはもともと俺が好きな音楽なんだ。アルバム『No Man’s Land』からマカロニ・ウェスタンの傾向が強くなったんだよ。このアルバムをリリースしてから、それ以降の自分の作品のマカロニ・ウェスタン的なアプローチが強くなったんだ。俺とジョッシュがレコーディングした時は、なるべくミニマルな機材でムードのあるサウンドをクリエイトしようとした。ロス・デイズのアルバムのサウンドやムードはとても視覚的でシネマティックだよ。マカロニ・ウェスタンのサウンドは、俺の音楽性の一部になっているんだ。自分の音楽の核となる音楽的要素は、サーフ・ミュージックやマカロニ・ウェスタンで、それを自分のベースプレイと組み合わせているから、ユニークなサウンドをクリエイトできたんだと思う。様々なスタイルの音楽的要素を融合させているんだ。

アルバム・タイトル『Sunshine Radio』の意味について教えてください。

TG: 希望に溢れたタイトルにしたかったんだ。どこか架空のラジオ局にチャンネルを合わせると、そこから俺のプレイリストが流れる、という物語も想像していた。ブライアン・バーネクロ(Brian Barneclo)と仲良くなって、彼がアルバムのアートワークを手掛けてくれることになった。それで、ラジカセをジャケのモチーフにして、『Sunshine Radio』というタイトルにしようと思いついたんだ。具体的にインスピレーションになったものはないんだ。アルバムにはいろいろなフィーリングの曲が入ってるから、ラジオ局をテーマにするのも面白いな、と思った。

このアルバム・タイトルを最初に見た時、こういう暗い時代だからこそ、みんなをポジティブな気持ちにさせるタイトルだと思ったんですが、そういう意図はあったんですか?

TG: それはあったね。こういう緊迫した時代だからこそ、ポジティブなメッセージを打ち出したかったんだ。希望や光を感じさせるようなタイトルにしたかった。暗闇から光が生まれるからね。

ジャケットのアートワークを手掛けたブライアンには、トミーからアイデアを伝えて、それに基づいて描いてもらったんですか?

TG: そうだね。そのあとに彼からいくつかのスケッチや提案が来て、話し合いながら作ってもらったんだ。最終的に俺が思い描いていたビジョンがジャケットで形になったよ。

ラジカセというのは、10代からスケートしていたトミーにとって大切な存在だったのでしょうか?

TG:それは間違いないね。スケボーをやるときは、必ず音楽が必要だからラジカセは必需品だったよ。みんなとスケートセッションをやるときは、誰かがラジカセを持ってると嬉しかったのを覚えてる。ウォークマン(Walkman)が登場した時も、どこにでも音楽を持って行けたから、革命だったよ(笑)。

音楽的には、何かビジョンやコンセプトを持ってレコーディングし始めたんですか? それとも白紙の状態からスタートしましたか?

TG:レコーディングするときは、いつも白紙の状態から始めるんだ。日本盤での前々作は海外盤が『Road to Knowhere』、日本盤のタイトルが『Endless Road』だったんだけど、その続編になるようなアルバムを作りたかった。フィーリングは似ているし、ファンク、ソウル、サーフ、マカロニ・ウェスタン、アフロビート、デザート・ロックの要素が前作にも新作にも入ってる。そういう音楽的要素は自分の一部になっているから、それを自分というフィルターを通して、曲を作っているんだ。『Road to Knowhere』は多くの人に愛され、ヴァイニル(アナログ)だけで7000枚も売れた。ちゃんと流通もしてないし、プロモーションもしていないし、レビューもどこにも載せてないんだけど、口コミでアルバムの評判が広がっていったんだ。自分の音楽や自分のことを知らない人、スケーターでもない人から、このアルバムについての問い合わせがくるから、そういう意味で作り甲斐があったよ。

あなたが言った通り、『Sunshine Radio』には『Road to Knowhere』の要素も入っていますが、サウンド的に原点回帰しようという意図はありましたか?

TG: いや、そういうことは意図してなかった。自然とこういうサウンドになったんだ。いつか、『Loose Grooves〜』みたいなアルバムをまた作りたいとは思っていたけど、同じ作品を繰り返すんじゃなくて、そのスピリットを継続したい。だから、そのフィーリングが曲によって湧き出てくることもあるんだ。

『Road to Knowhere』は口コミで広がったと言ってましたが、Youtubeであなたの過去の作品は、世界中から驚くほどの再生回数を獲得しています。Youtubeやネット上から火がついたローファイ・ヒップホップ・ムーヴメントを好む若いリスナーが、あなたの音楽に共感して聴いてるのだと思いますが、いかがでしょう?

TG:そうだと思うし、それはすごく嬉しいことだよ。俺の息子がローファイ・ヒップホップ・ムーヴメントに一時期ハマってたから、彼には「これは昔のインストゥルメンタル・ヒップホップと同じだよ」と教えたんだ(笑)。もともとヒップホップはローファイだったから、このネーミングが不思議だと思っちゃうんだけど、若い連中が、昔ながらのヒップホップ・サウンドの素晴らしさに気づき始めたんだと思う。若いプロデューサーたちが、ループ、サンプル、ブレイクを主体とした昔ながらのヒップホップの作り方を取り入れたり、メロウなヒップホップを作って、それが再評価されてるんだ。そこから若い連中が、俺らが聴いていたア・トライブ・コールド・クエスト、ギャング・スター、KRSワン、エリックB・アンド・ラキム、パブリック・エネミーなどのオールドスクール・ヒップホップに興味を持ってくれたら嬉しいね。今のヒップホップは、昔とあまりにもサウンドが違うから、息子にオールドスクール・ヒップホップを聴かせたら、「これってラップなの?」と聞かれたんだ(笑)。笑っちゃったけど、「ここからラップが始まって進化したんだよ」と教えたんだよ。でも、そういうローファイ、チル系のサウンドがきっかけで、俺の音楽に興味を持ってくれる若者が増えているのは嬉しいよ。



 

 

昨年からヨーロッパでもツアーしていましたが、それはこういう若い世代のリスナーが増えたからですか?

TG: いや、それは関係ない。ヨーロッパをツアーしてもいいと自分で決めてから、形になったんだ。実は、何年も前からヨーロッパ、オーストラリアからツアーのオファーがしょっちゅう来ているんだけど、そっちの地域でツアーをすると、すごくお金がかかってしまう。ツアーサポートがないから、自腹でツアーのコストを払わないといけないんだ。ヨーロッパのツアーはトントンだったけど、それが今後の活動につながるといいと思ってる。

『Sunshine Radio}を作る上で、特にインスパイアされた音楽はありましたか?

TG: 前から聴いている音楽と変わりはないけど、アフリカの音楽は結構聴いているし、ガボール・ザボ、マーク・リボー、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィスの『Bitches Brew』や『On The Corner』などのジャズは大好きだよ。アフリカ音楽だと特に、フェラ・クティ、エボ・テイラー、ベンベヤ・ジャズ・ナショナル、Hailu Mergia & Dahlak Band、Orchestre Poly-Rythmo de Cotonouなどを気に入ってる。こういう音楽は大好きだけど、自分の音楽が同じサウンドになることはないんだ。『Sunshine Radio』の最後の曲は、コルトレーンへのオマージュとも言えるよ。スピリチュアル・ジャズっぽい曲に仕上がったんだけど、そういうアルバムをいつか1枚作ってみたいね。俺の昔の曲にも、スピリチュアル・ジャズの要素が入っているものもあるけど、アルバム丸ごとそういうサウンドでいつか作ってみたい。

今回から取り入れた新しい楽器やレコーディング・テクニックはありますか?

TG: いや、特にないけど、今回は今までよりFarfisaのオルガンを多用した。今までとは違うテクスチャーを入れたかったら、メロディを結構Farfisaで演奏したんだ。このアルバムは俺が所有しているスタジオではなく、少ない機材を使って自宅でレコーディングした。部屋にミニ・ドラムセットを設置して使ったよ。家では、DIY的な方法でレコーディングしたんだけど、ミックスはRuminator Studioのモンティ・ヴァリエにいつものようにお願いした。ミックスするときに新たな生命が作品に吹き込まれるから、モンティはある意味バンド・メンバーみたいなものだよ。モンティとミックスの作業するのはすごく楽しくて、アイデアを出し合ったり、音を追加したりするんだ。彼とスタジオに入る時点で、自分がどういう風に曲を仕上げたいかはノートに書いておく。完全に彼に任せているわけではなくて、ミックスするときに、自分もいろいろなアイデアを出して、一緒に作っていく感じだよ。彼はエンジニアだから、低音を削ったり、EQをかけたり、音質をよくするためにいろいろな技術的なことを担当してくれる。

レコーディングした時は、モンティと一緒ではなく、あなたが一人で全部楽器を演奏しながらレコーディングをしたんですか?

TG: 基本的にそうだよ。1曲だけ、チャック・トリースが叩いたドラムのループを使ってる。何曲かでマット・ロドリゲスがパーカッションを叩いてる。最初は自分でコンガを叩いたんだけど、後でマットにRuminator Studioに来てもらって、自分が叩いたコンガを彼のコンガの演奏と入れ替えたんだ。他のパーカッションは自分で叩いたよ。楽器はすべて生楽器やアナログ機材で、MIDI機材は使っていない。MIDIは未だに使い方もわからないよ(笑)。ミニ・ドラムセットもセッティングして、何曲かは自分で生ドラムを叩いたんだ。ドラムは結構上手くなってきたよ(笑)。チャックはフィラデルフィアに住んでいて、なかなかカリフォルニアに来れないから、彼が昨年遊びに来た時に、モンティのスタジオで彼のドラムをレコーディングしたんだ。その中らループを作って、1曲で使った。このアルバムのベースの演奏では、GibsonのSGと70年代の日本製のEpiphoneを使っているよ。

以前、あなたのサンフランシスコのスタジオに行ったことがありますが、そこでレコーディングしなかったわけですね?

TG: そうなんだ。ロックダウンになってから、自宅からサンフランシスコのスタジオに行ったり、DLXに行かなくなったから、自宅でレコーディングするしかなかったんだ。俺が住んでいるエリアからサンフランシスコまで15マイルしかないんだけど、渋滞すると1時間半くらいかかることもある。行って帰ってくるだけで2〜3時間かかるから、それだったら家でレコーディングしようと思ったんだ。自宅のスタジオでレコーディングしたけど、そんなに機材は必要ない。アンプを使わずに、ギターなどは全部ダイレクトでレコーディングした。モニタリングはヘッドホンでやってるし、自分が音楽を作り始めた頃とほぼ同じセットアップだよ(笑)。ギターにエフェクトをかけて、マイクプリを通してダイレクトでレコーディングしたし、ドラムをレコーディングするときはスネアにShure SM57、キックにはAKG D112のマイクだけを使った。安いマイクだけを使ったけど、Pro Toolsに直接レコーディングしたんだ。

最近は”ベッドルーム・ポップ”というジャンルがネット上で人気がありますが、あなたは何十年も前から宅録ですよね。

TG: そうだよ。自分が音作りをし始めたときからこのずっとこのスタイルでレコーディングしてるから、もう28年間も経ってる(笑)。俺が初めてソロでリリースした曲は25年前だったんだ。New Breedというレーベルから95年にリリースした『Fat Jazzy Grooves』というコンピレーションが初のリリースなんだよ。当時、トミー・ゲレロ名義で活動する前は、ビーツ・オブ・サンフランシスコという名義でトラックを作っていたんだ。もう25年前の話だけど、初のソロ・トラックのリリースだよ。このシリーズのコンピレーションに何枚か参加したんだけど、ソロ・アーティストとして活動し始めたのはその前からだから、90年代初期だった。当時から、ベッドルームで曲作りをしていたから、もうかなりこのスタイルでのレコーディング歴は長いよ。

 

Photo by Claudine Gossett

2020年のアメリカは、コロナだけではなく、大統領選もあって、かなり社会的に荒れていましたが、何が原因なのでしょうか?

TG: 人々のコミュニケーション不足。批判的思考を持っている人が減っているから、問題の根源がどこにあるのかを考えなくなっている。人を理解するには、その人が歩んできた人生に自分も身を置いてみないといけない。そうすることで、その人が置かれている状況やその人の言動が理解できる。例えば、トランプの熱狂的信者は、こっちからしてみれば、カルト教団のリーダーに洗脳された人たちに見えるんだけど、彼らがなぜそうなったのかは俺らにはわからない。もし彼らと実際に会話してみて、彼らの人生の歴史を聞けば、なぜトランプを信奉するようになったかを理解できるかもしれない。そこから対話が始まり、アメリカはやっと傷を癒せるかもしれない。でも今は、現実を見る方が辛いから、みんなは現実に背を向けているんだ。

あなたがパウエル・ペラルタの1989年に発表されたスケート・ビデオ『Ban This』に出演した時に、手書きで“End Racism(人種差別を撤廃しろ)”というメッセージが書かれたスケボーに乗って話題になりました。このメッセージは、BLMムーヴメントが盛り上がった2020年にも通用しますが、なぜアメリカではなかなか人種差別が消えないのだと思いますか?

TG: 無知から始まった問題だよ。人々は真実を無視しようとしているし、過去に目を向けたがらない。そういう人たちは、奴隷制が存在していたことすら否定するし、有色人種が白人と同じ権利を持っていなかった時代があったことも否定しようとする。過去に有色人種が迫害されたから、今の現状があるんだ。なぜ貧富の差がここまであるのかというと、有色人種には、白人と同じ特権が与えられていなかったからなんだ。黒人、ヒスパニックの人々は、白人と同じ選択肢を与えられていなかった。黒人やラテン系の人々が社会進出するチャンスを奪う法律が実際にあったんだ。だから、白人と有色人種の貧富の差の原因は、歴史を辿ればわかる。白人には特権が与えられ、奴隷制によって大金持ちになった白人がたくさんいた。奴隷を利用することで、白人は無料で労働者を働かせることができた。アメリカの富裕層の白人はそう言った過去の事実に目を背け、彼らの多くは、先祖をたどっていくと、奴隷制を利用していた人たちなんだ。そういう人たちが、アメリカにおける抑圧、憎しみ、怒りの原因を作っている。誰も現実に目を向けたくないし、批判的思考を持とうとない。すべてのレベルにいる人間が現実に目を向けなければ、何も変わらない。アメリカにおける構造的人種差別を崩さないための法律がたくさんあったんだ。このような法律があったから、有色人種は白人と同じことができなかった。そんな状況では、有色人種は白人と同じ成功を手にすることができるわけがない。

あなたのインスタグラムで、最近また“End Racism”のグラフィックがプリントされたスケートボードに乗った写真を見ました。また、あなたが関わっているDLX傘下のスケートボード・ブランド、REALも“End Racism”のメッセージがプリントされたスケートボードを発表しましたね。なぜこのようなスケートボードを作ったのでしょうか?

TG: 世の中がそれを必要としているからだよ(笑)。自分たちが固く信じているメッセージだからなんだ。ジム・シーボーと一緒にこの会社を立ち上げたけど、彼の最初のREALのスケートデッキは、クー・クラックス・クラン(KKK)のメンバーが首吊りをしているグラフィックだった。これは1992年のデッキだったけど、このメッセージは昔から俺らが強く信じているものなんだ。社会を変化させたかったら、まずこの問題が存在していることを認めないと始まらない。アメリカの警察官による人種差別事件が多発しているけど、この問題があることをまず認めないと、変えることはできないんだ。俺らはメッセージを打ち出して、みんなを考えさせることで、変化を生み出したいんだ。

人種差別に反対するメッセージが入ったスケートボードは、チャリティのためにも作ったんですよね?

TG: そうなんだ。REALは750枚の“End Racism”のデッキを作って、それを全て無料で全国のスケートショップに配布したんだ。それぞれのスケートショップが好きな値段で販売して、その売り上げを全て地元の地域団体に寄付した。自分が個人的に作った“End Racism”のスケートボードについては、それに乗っている様子をクローディーン(トミーのパートナー)に写真で収めてもらって、それをプリントとして販売したんだ。その売り上げは、NAACP(全米有色人種地位向上協議会)に寄付された。

パンデミック、人種差別問題、アメリカの大統領選など、重苦しい問題が今年のアメリカで目立ちましたが、そんな状況でも音楽は人々に癒しを与えるパワーを持っていると思いますか?

TG: もちろん、音楽は人々を癒す力を持っているよ。パンデミック中に音楽を聴くことで、多くの人々は正常でいることができた。こんな状況でも、ファンがアーティストの音源を買うことで、アーティストをサポートしているし、俺もそれに感謝している。音楽で生計を立てている多くのミュージシャンは、ツアーができなくなって、職を失ってしまった。今の音楽業界は配信が主体になっているから、配信の印税だけでなかなか生活できるミュージシャンは少ない。だからツアーやライセンスに頼って生計を立てるミュージシャンが多い。ファンがアーティストを直接サポートしたい場合は、ヴァイニルを買ってあげるのが一番効果的だよ。

パンデミックによって、あなたの仲間のミュージシャンやスケーターは苦しい思いをしていますか?

TG: イエスとノーだね。オークランドでライブハウスを経営している友達は、1ヶ月前に店を閉鎖させる決断をしたんだ。レストランとナイトクラブを経営している友人も店を閉じた。バーのオーナーの仲間も何人か店を失ってしまったんだ。でもスケート業界はセールスが上がっている。ロックダウン中は、スケートボード、自転車、サーフ業界のセールスが大幅にアップしたんだよ。ロックダウンの初期は、すべてのスケートボードの製造工場が閉鎖されていたから、スケートショップはどこも商品を血眼になって探していた。でもメーカーは商品を供給できなかったんだ。どのスケートボード会社もオーダーが溜まっちゃって、需要に応じようとしていた。予想外の状況だったよ。ツアーできなくて苦しんでいるバンドもたくさんいる。メジャーなバンドではなく、インディーズ・シーンではツアーで生計を立てているバンドが多いから、彼らが一番苦しんでいるよ。配信ライブのチケットを売るのはなかなか大変だし、俺もあまり画面でライヴは見たくないタイプだしね。ライヴはやっぱり会場での熱気が大切だからね。失業手当をもらっている人が多いけど、それがもう少しで終わるから、状況が悪化すると思うんだ。バイデンはこんなにひどい状況で大統領になって、議事によって妨害されるだろうから、4年の間に何も変えられないかもしれない。そうすると、4年後にまたトランプが登場するかもしれない。トランプはニューヨークで色々な問題を起こしたけど、逮捕でもされなければ、また大統領選に出馬しようとすると思うんだ。そうならないことを願ってるけど。

最近はスケボーに乗れてますか?

TG: 二日前にスケボーに乗ったよ。俺をスポンサーしているコンバースが新しいスケートビデオを発表するんだけど、そのために撮影をしたんだ。撮影日は、体の調子が良くてスケボーに乗ることができたけど、二日経って体が痛んでるよ(笑)。スケボーに行きたくても、膝が痛くて乗れない日があるんだよね。なるべくたくさんスケボーに乗りたいんだけど、体の限界がある。撮影の10日前に足を怪我して、その後に旅行に行ったから、撮影前は3週間もスケボーに乗ってなかった。久しぶりにボードに乗ると、慣れるのにちょっと時間がかかるんだ。自分の体調を伺いながら乗るしかないんだよ。

昔と比べて、スケボーとの関係性は変わりましたか?

TG: もちろん。昔のようにいつもスケートできないからね。いつもスケートしていると、スケボーのことばかり考えるんだけど、スケートしてないと、そうじゃなくなってくるんだ。1ヶ月前くらいに、連続でスケボーに乗ってる夢を見ていたんだ。スケボーに乗りたいのに、体が言うことを聞かないから、鬱憤が溜まってる。体が言うことを聞かないと、その日はスケボーに乗れない。昔と同じスケートボードのトリックをやろうとしても、体が思うように動かないから、フラストレーションを感じてしまう。そういう時は、音楽に没頭するようにしているよ。昔も、足首を骨折してスケートできないかった時は、音楽を1年間くらい作ってた。俺は音楽という別の表現方法を持っていたから、ラッキーだったよ。

現在もマーク・ゴンザレスのスケートブランドKrookedのデザインの仕事はやっているのでしょうか?

TG: 今もDLXに在籍はしているけど、デザインやレイアウトの仕事は辞めたから、決まった役職はないんだ。反復性ストレス疾患、手根管症候群になったから、デザインワークはだいぶ前にやめたんだ。DLXのアート部門には優れたデザイナーがたくさんいるしね。でも、俺は今でもDLXの一員だよ。

レイ・バービーが、最近KROOKEDに加入したみたいですが、それはあなたのアイデアだったんですか?

TG: いや、レイから直接アプローチされたんだ。1年前くらいからこの件について話し合ってたんだよ。レイの前のスポンサーだったELEMENTのスタッフが変わり、とても企業的になってしまったから、彼は離れたがっていたんだ。それでレイから連絡があって、俺はDLXやマークゴンザレスと話し合って、マークが100%サポートしてくれて決定になったんだ。レイが来てくれたことで、所属スケーターはみんなエキサイトしていたよ。通常は、DLX_では40人のスタッフが働いているんだけど、今はパンデミックの関係で15人くらいしか会社にいないんだ。スタッフはみんなマスクしているし、誰も病気にならないように気をつけてる。でも俺はもう54歳だし、危険な年齢だから、DLXには行かないようにしているんだ。

まだパンデミック中でツアーはできないですが、『Sunshine Radio』はライヴでどのように再現したいですか?

TG:まだそこまで考えられてないよ。今回はキーボードを結構使ったから、どうやってそれを演奏するかを考えないといけない。マット・ロドリゲスはキーボードを演奏できるんだけど、彼はキーボードとパーカッションの両方をやることになるから、ちょっと大変なんだ。今はバンドとしてリハができないのも問題だね。チャック・トリースはフィラデルフィア、ジョッシュはロサンジェルスに今は住んでいて、マットはサクラメントに住んでいるから、なかなか集まることができないんだ。

すでに次のアルバムの素材があると言ってましたが、今後の予定は?マニー・マークともレコーディングしていると聞きましたが。

TG: 俺の次のアルバムは、全く新しいアプローチになるよ。サウンド的に美しい作品にしたいんだ。バリトンギターを使ったんだけど、それはギターとベースのちょうど中間の音域の楽器なんだ。普通のギターは1曲でしか使っていなくて、あとはベース、ドラムマシン、キーボードが入ってる。次のアルバムは、これまでとは全然違うものになるよ。マニー・マークとスケジュールの関係でなかなか会えないから、1年くらい彼とはレコーディングしてないんだ。それから。またジョッシュとロス・デイズのレコーディングを来年の春にやる予定だよ。それまでにワクチンが完成していることを願ってる。ブラックトップ・プロジェクトと2年前にモンティのスタジオでレコーディングした素材があるんだけど、そのセッションにはレイが参加していないから、レイのパートをレコーディングしないといけない。EPくらいの素材があるけど、まだ色々と編集をしないといけない。

今は世の中が大変な状況ではありますが、日本のファンにメッセージをお願いします。

TG: クリエイティブでいることを心がけてほしい。そうすれば、どんなに辛い状況でも乗り越えられるよ。


 

リリース情報

TOMMY GUERRERO Sunshine Radio
トミー・ゲレロ | サンシャイン・ラジオ

 

TOMMY GUERRERO Sunshine Radio
トミー・ゲレロ|サンシャイン・ラジオ
発売日本先行発売 A式紙ジャケット
TOO GOOD/RUSH PRODUCTION/OCTAVE-LAB OTLCD2530
税抜定価 : \2,400 + 税 2021 年 01 月20 日 (水)
ライナーノーツ:Hashim Bharoocha
Photo by Claudine Gossett

 

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TOMMY GUERRERO

Photo by Claudine Gossett

カリスマティックなスケーターとして世界のストリートに影響を与え、オリジナリティ溢れる サウンドで多くの支持を得ているミュージシャンでもある、真のストリート・アーティスト。 サンフランシスコ出身。伝説のスケートボード・チーム【Bones Brigade】最年少メンバーと してシーンに登場。抜群の知名度と影響力を持つオリジナル・ストリートスケーターとしてス ケートボード界で成功を収めた。その後、ミュージシャンとして音楽活動も開始。98年に発表 したデビューアルバム『Loose Grooves & Bastard Blues』がロングセラーを記録、音楽シー ンでも確かな地位を確立する。Galaxia、Moʼ Waxなどのレーベルからのリリースも含め、作品をコンスタントに発表。オリジナル・アルバムを10枚発表している。近年ではリリースの度に大規模なツアーを行い、日本でも数カ所ツアーを行い、新たなファンを獲得している。又、 日本ではキューピーのCMに書き下ろした「Mayo(It Gets Heavy)」でも有名に。日本のストリートカルチャー・シーンでも絶大な人気を誇るカリスマ的アーティスト。