デビュー間もない頃の信頼できるライブスタッフが共通していたこともあり、
かなり前から面識はあったものの、意外にも共演は今回が初めての遊佐未森。
かたや小学生の頃から”たま”ファンであり、”たま”の2ndアルバム『ひるね』は自分にとっての神盤と言う大石昌良。
まずは顔合わせを兼ねた鼎談をとセッティングしたところ、スタート直後から和気あいあい。
笑顔が止まらない鼎談となりました。
ライブの楽しさを大いに予感させるノンストップなまま予定時間終了となった3人の会話、
たっぷりとお楽しみください。
無人島に持って行く1枚は”たま”さんの『ひるね』
もう小学校6年から擦り切れるくらい聴いてるんで(大石)
●柳原:僕、大石さんには今日初めてお目にかかるんですが。みもりん(=遊佐未森さん)と大石さんは面識があったんですか?
●遊佐:大石さんとは今日が初めて。
●大石:僕はお二方とも初めてなんで、ちょっと緊張しております。しかも大石的にはもう、柳原さんは神なんで。
●柳原:いやいやいや、これがまたインチキ臭い神なんだ(笑)。
●大石:神様との会合ということでドキドキが止まらないんですけど。
●遊佐:よかったですね、神様と会えて(笑)。
●大石:ずっと言ってるんです、無人島に持って行く1枚は”たま”さんの『ひるね』だって。もう小学校6年のときから擦り切れるくらい聴いてるんで。
●遊佐:小学校!
●大石:カセットテープの『ひるね』を買って聴いてました。
●遊佐:その頃は新譜をカセットテープでも売ってたね。
●大石:聴きすぎてテープが伸びちゃったと思います。『ひるね』はいまだに聴いてます。
●柳原:ありがとうございます、『ひるね』をねえ。『さんだる』(たま 1stアルバム)はそれほどでもなかったんですか?
●大石:『さんだる』ももちろん聴いてたんですけど、『ひるね』のほうが好きでしたね。あの……『さんだる』のレコーディングスタジオは大久保のフリーダムですか?
●柳原:大久保のフリーダムと湾岸のスマイルガレージが半々くらいだったかな。
●大石:メジャーデビューしてフリーダムで録音したとき、「ここで”たま”さんが録音してたんだ!」って感動した覚えがあります。『ひるね』のレコーディングは海外ですよね?
●柳原:イギリスのオックスフォード。
●遊佐:えっ!? そうなの?
●柳原:そうなの。
●大石:だから音がいいんです、今聴いてもすごくダイナミックスレンジがはっきりしてて。
●遊佐:はいはいはい、音の太い感じがね。
●大石:もう一生聴いてられる。
●柳原:ありがたいことだね。
●遊佐:なんかじーんとしますね。
●柳原:するね。どうしようかと思っちゃう、穴に入りたくなっちゃうくらい(笑)。
●大石:遠い異国の地であの音楽を奏でてると思うと、またすごくキュンとなるというか。
●柳原:でもイギリス人との妙な距離感はありました。
●大石・●遊佐:あはははは。
●大石:その『ひるね』なんですけど、あの……一度お伺いしたいことがあって。
●柳原:はい。心して伺います。
●大石:録音するとき、クリック(楽曲のテンポに合わせたガイドリズムのこと。メトロノームと同意語)とか聴いてたんですか。
●柳原:全く聴いてません。
●大石:ですよね!
●柳原:『さよなら人類』を最初のシングルで録音するとき、それがいわゆる商業スタジオでの初めての録音だったんですけど。クリックって8分音符で出たりするじゃないですか。そしたら歌うテンポが倍になっちゃって。
●大石:なにこれ! 早ぇなーって?(笑)
●柳原:これでやらなきゃダメなの?って。それに別にクリックに合わせる音楽でもないでしょう?って。
●大石:なるほど~。このアンサンブル、どうやってるんだろってめちゃくちゃ不思議だったんです。
●遊佐:そうね。そう思うよね。
●柳原:みんな目配せで。
●大石:あれ、「いっせーの」で録ってるんですか。
●柳原:「いっせーの」です。
”たま”はレコーディングのときに歌詞も全部覚えて歌ってる
という話を聞いてすごくびっくりした(遊佐)
●遊佐:”たま”はレコーディングのときに歌詞も全部覚えて歌ってるっていう話を聞いたことがあって。歌詞カードも置かないで歌ってるって聞いて、すごくびっくりした。
●柳原:ライブで先にやっちゃうのよ、新曲を。そこで練り上げてレコーディングっていう流れだったんで。
●遊佐:それは最高だと思う。歌がもう全部、体に入ってるんだもんね。
●柳原:今はもう入らなくて入らなくて。
●遊佐:ふっふふふ。そうそう。
●大石:そうなってきます?
●柳原:全然入らない。
●大石:僕も最近全然入ってこないんです。
●遊佐:歌詞を書き直したりすると、直す前の歌詞を歌っちゃったりして(笑)。
●柳原:歌詞ってことだと、つかえなくなってる言葉ってある? 例えば僕は「人類」っていう言葉は歌詞にはもう一生つかえないなって。花の名前なら「ひまわり」はつかっちゃったからもうつかえないとか。そういうのが増えてきた感じがある。
●遊佐:「花」っていう言葉はいいけど「チューリップ」は何度もつかえないみたいな?
●柳原:そうそう。
●遊佐それはあると思う。
●大石:塗りつぶされていくんですね、つかった単語がどんどんどんどん。
●柳原:逆に若い頃は絶対つかわなかったような単純な言葉が、すっと出てきて一番フィットしたり。それがなんか嬉しいですね。みもりんはリアルタイムで”たま”を見てただろうけど、若い頃は奇抜大会だったから。
●遊佐:ふっふふふふ。
●大石:奇抜大会(笑)。
●柳原:普通の言葉をつかうのは恐怖だった。
●遊佐:そっかそっか、そっちのほうがね。
●柳原:奇抜というわりにけっこう真面目に作ってたんだけど。「人を愛する」とか「あなたが好きだ」とか、そういう言葉は絶対つかえなくて。なんか今ようやくそういう言葉がメロディーのなかに出てきても、ドギマギせず当たり前につかえるようになったんで。簡単になってくのもいいことだな、ちょっと老後も楽しいなーっていう境地になってきた。
●遊佐:これからますます楽しいね。でもね、シンプルなんだけど、そのなかにやなちゃんらしい感じが入ってくると、びっくりする。
●大石:それって素晴らしい境地ですね。……あの、一度お伺いしたかったことがもう一つあって。”たま”さんの映像とかも探してよく観たりするんですけど……ミーハーなことを聞いてもいいですか。
●柳原:はいはい、心して伺います。
●大石:『さよなら人類』をどこかのライブで歌われてたときに、石川さんが落下した事件がありましたよね。
●柳原:ありました、「落ちた~」ってやつね。四国ですね。
●大石:四国なんですか!
●柳原:牧場でね。
●大石:牧場なんですか! 後ろの鉄骨みたいなところを石川さんがスティックで叩き始めて、そのうち登り始めて。落下して「猿も木から落ちたー」っていう壮大なオチがついたやつなんですけど。あれはもちろん台本通りじゃ……ない?
●柳原:あれは事故です。でも誰一人、演奏をやめなかった(笑)。
●大石:そうなんですよ。やめないどころか、柳原さんが「さる~」って言い始めて。やるんだ!って思いました。
●柳原:プロは怖いね(笑)。
●大石:僕は映像でしか拝見してないんですけど、誰も全然動じないんですね。
●遊佐:ケガは?
●柳原:なかった。
●大石・●遊佐:よかった~。
●大石:でもあまりにもその「猿も木から落ちた~」っていうオチが良くできてて。
●遊佐:気が利いてる(笑)。
●大石:しかも柳原さんも「さる~」とか言い始めるから、これは台本があったんじゃないか? 後ろにすごい柔らかいマットが置いてあるんじゃないか?って。でもちゃんとした事故だったんですね。ありがとうございます、10年越しの疑問が今解けました(笑)。
初めてみもりんをお見かけしたのは
「夜のヒットスタジオ」(柳原)
●柳原:初めてみもりんをお見かけしたのはフジテレビ。
●遊佐:私もそれ覚えてる。歌番組ですよね。
●柳原:「夜のヒットスタジオ」の深夜版かな。『夏草の線路』を歌ってらっしゃって、その進行に関わらずスタジオの隅のほうでWinkさんが一生懸命に振り付けの練習をしてて。俺、なんていうところに来ちゃったんだろ……って。
●遊佐:あはははは。
●大石:テレビ局っぽい(笑)。
●柳原:その後、NHKホールに『モザイク』(遊佐未森 5thアルバム)のライブを観に行って。その前後だったと思うんだよね、夷さん(えびすさん=ライブ音響)と久保さん(ライブ照明)が”たま”のライブを観に来てくれたのは。これからライブを担当しますって。(注:当時、夷さんと久保さんは、ライブスタッフとして遊佐未森さんも”たま”も担当)
●遊佐:夷さんは、すごくいい音出してくれる方だったんですけど、若くしてお亡くなりになって。もうすごいショックで。
●柳原:ものすごいショックだった。もう話し出したら泣きそうになるけどね。今でもライブでなかなか音がピンとこないなあっていうときにね、ときどき「夷さ~ん」って思い出す。夷さんならなんて言うかなって。
●遊佐:わかるわかる、あるよね。
●柳原:夷さん、ナメたライブをすると口きいてくれないんだよ。ちょっといつもより雑にガーって弾いたり、バーンってやったりするとさ、口をきいてくれない。そういう方でしたね。
●遊佐:そうそう一番怖かったもんね。バンドメンバーも夷さんがPAエンジニアだって言うと、みんな最初すっごい緊張してやってきて。そういうちょっと伝説的な人でした。
●柳原:初めて僕らのライブを観に来てくれたとき、夷さんが「あなたたちの音楽を聴いて救われました。これからよろしくお願いします」って頭を下げてくれて。
●遊佐:えー! それはすごい。
●柳原:そんな大人、初めてだったからさ。
●遊佐:そうそう、そういう方。なんだろうな、いろんなことでトラブったり、コンサートで凹んだりしたときも、夷さんの横に行って、話かけるわけでもなく座ってるだけで少しずつ落ち着いてくるみたいな。夷さんも話しかけてこないしね。全部見えてる感じだった。私が思ってることも、トラブってることとかも。
●柳原:そうそうそうそう。もうちょっと一緒にいたかったんだよね。……僕の最初のソロライブも夷さんで。当時は試行錯誤中じゃないですか。やってる音楽も全然違うし、今まであったものが総取っ替えになっちゃったから。でも夷さんがにっこりしてたから悪いことはしてないんだろうなって思って。そういう人です。素敵な人でした。今でも挫けそうになると、ときどき顔を思い出します。
●大石:……僕、夷さんの音、絶対耳にしてますね。まさか、この対談でこんな貴重な話を聞けるとは思いませんでした。
一人でもバンドに負けないアンサンブルを出せたらと思って
30歳手前ぐらいで今のギターの奏法にシフトしたんです(大石)
●柳原:僕も大石さんに伺いたいことがあるんですけど。あのギターは、どのようにして?
●遊佐:そうそうそう、あの技術ね。
●大石:アコースティックギターを叩いてパーカッシブに音を出しながら旋律も奏でる、スラップっていう奏法なんですけど。最初に日本に持ってきたのは押尾コータローさんで。
●遊佐・●柳原:あ、そうなんだ!
●大石:弾き方はラウル・ミドンさんとか海外のアーティストさんをYouTubeで観たり。
●柳原:出た出た、ラウル・ミドンさん! 衝撃でしたよね、あの人のファーストアルバム。それで奏法を取り入れた?
●大石:もともと3ピースのバンドをやってて、そのときはエレキギターしか弾いてなかったんです。でもバンドが解散になってソロデビューっていうときに、何か一つくらい芸事を身につけたいなと思って。一人でもバンドに負けないアンサンブルを出せたら、バックバンドを雇う経費も浮くなって。
●柳原:大事大事。
●大石:またそういうことがちょうど時代にもフィットしてたんで、エンタメとしても面白いかなと思って。30歳手前ぐらいで、その奏法にシフトしたんですよね。
●柳原:どのくらいでものになりました?
●大石:3~4年くらい練習してようやく。最初のうちは曲のどこかに取り入れて、それをだんだん増やしてくって感じでした。やっぱり技術志向になると気持ちが置いてけぼりになるというか。なので自分の曲に取り入れるにはどうしたらいいかって。ずっと今でも考えてて。だから研究ばかりしてるというか。
●柳原:素晴らしいね。でも大石さんにとって、あの奏法を始めた頃はものすごく転換期だったんですね。
●大石:その頃、音楽一本で食えなくなって、ピザ屋さんでアルバイトをしながらアーティスト業もやるっていう時期だったんです。しかもピザ屋さんでバイトしてることは、ひた隠しながら音楽をやってて。
●柳原:やっぱり隠したほうがよかったんですか?
●大石:武士は黙って高楊枝じゃないですけど。
●柳原:あ~~~。
●大石:アーティスト然としていたほうが、お客さんにもいい歌が届けられるのかなと思ったのと、当時所属してた事務所は副業NGだったので。でもこのままじゃダメだなと思って。手に職をつけるじゃないですけど、技術をつけて。誰が見ても圧倒的な才能があるねっていうように見せられたら、音楽一本で食えるんじゃないかなって。
●柳原:古典的なブルースマンの話みたいだね。貧しいシカゴの片隅でさ。
●大石:あはははは。そうかもしれないですね。
●柳原:おじいちゃんからもらったギターで。道で演奏して食えればいいなと。
●大石:僕の音楽はブルースのブの字もないですけど。
●柳原:ブルースだったんだねー。
●大石:気持ち的にはそうです。
●柳原:な~んか嬉しくなっちゃった。うんうん。
●大石:そうこうしているうちに出会ったのがアニメソングで。制作の依頼とかがくるようになって。
●柳原:それがカタカナのオーイシさん。
●大石:そうです。そうなんです。オーイシのときは黒縁眼鏡をかけるっていう。
●遊佐:そういう違いなんですね。
●大石:変身メガネじゃないですけど。
●柳原:クラーク・ケントか。
●大石:懐かしい。
●柳原:わかってもらえてよかった。ぽろっと古いものが出てくる(笑)。
●遊佐:ふっふふふふふ。
ナイトノイズとのレコーディングで
生活のなかに普通に音楽がある感じにすごく安らいだ(遊佐)
●柳原:みもりんは転換期というか、ちょっとブルージーな時期ってあったんですか?
●遊佐:……そういう意味では『水色』っていうミニアルバムのレコーディングのときかな。デビューして5年くらい経ってたときで。それまでずっと忙しくやってきていたんだけど、私はこの先どんなふうに活動していったらいいんだろうなって思ってたというか。日本の音楽業界のなかでの自分の立ち位置、居場所みたいなものが微妙……?って。なんとなく遊佐未森の世界っていう感じでやってきてたけどって。
●柳原:確固たるものがあったよ。
●遊佐:そう言っていただけたらありがたいけど。この先長くやっていくために、どういうふうになりたいの?みたいに聞かれてた時期だったのね。
●柳原:そういうことを軽く聞くんだよなあ、奴らは(笑)。
●大石:奴ら(笑)。
●遊佐:でもなんか自分自身、やっぱりどこにもハマらない感じがあって。そのとき私は私って思えばよかったのかもしれないけど、どうしたらいいかわからないみたいな時期だったんで。
●柳原:あるある、そういう辛い時期。
●遊佐:で、そういう時期にディレクターさんに「ミニアルバムを1枚挟むから、なんか好きなこと、やりたいことを言って」と言われたので、そのときよく聴いてた「ナイトノイズっていうバンドの人たちと一緒に作れたらいいな」って夢みたいなことを言ったら、うまい具合に実現することになって。彼ら4人はオレゴンに住んでたんで、向こうに行ってリハーサルから録音まで全部やってきたのね。
●柳原:アイルランドじゃなかったんだ。
●遊佐:当時はアイルランドのミュージシャンがオレゴンのポートランドに多く住んでて。で、ホテルの宴会場みたいなお部屋で、生楽器だからみんな生音で、私も普通に歌って、っていうリハーサルから始めてね。レコーディングを一緒にやっていくなかで、なんか日本では味わえない、生活のなかにちゃんと普通に音楽がある感じにすごい安らいだというか。これだ!って思って。これが日本でもできることなのかわからないけど、こういうふうにやってみたいと思ったんですよね。
●柳原:そうなんだよね。アメリカの田舎に行くと雑貨屋さんにギターの弦が置いてあったりして。要は夜、みんなで公民館で演奏するか!みたいなことだからなんだろうけど。そういう世界、いいよなあと思うよね。
●大石:確かに日本だと商業音楽というか芸能の世界な感じですもんね。だからそういう生活みたいな感じはないかもしれない。
●柳原:そうだよねえ。それでそこで感じたことは、自分で作っていくものにも影響した?
●遊佐:すごい影響を受けましたね。それから探しながら徐々に形にしていくことになるんだけど、でも行先が見つかったから気持ちがすごい楽になって。
●柳原:あ~~、行先がね。
●遊佐:こうなりたい、できなかったとしても、こういうふうに生きていきたいからチャレンジしてみよう、みたいな。で、数年経って彼らがアイルランドのダブリンに戻ってから、今度はアイルランドで『roka』(遊佐未森 10thアルバム)を作ったの。
●柳原:『roka』ね。いいアルバムでした、あれは。
●遊佐:ありがとうございます。それでまた4人に再会して。そのときにアイルランドで、パブで普通に演奏して人が踊ったりするのが当たり前、という世界が世の中にあるんだっていうことを目の当たりにして。
●柳原:そうだね。本当はそうなんだけどね。
●遊佐:ほんとはね。
●大石:確かに歌いたいから歌うのが本当かも。
●遊佐:楽しみたいから、とかね。
●大石:なんかキャンプファイヤーに持ってくアコースティックギターが一番純粋なんじゃないか、と思えてきた(笑)。
●遊佐・●柳原:あはははは。
●柳原:だけど俺、キャンプファイヤー嫌いなんだよなー(笑)。
●大石:そんなこと言わんといてください(笑)。例えですよ、例え。
●柳原:そこが矛盾してるんだよなー。ダメだよなー。
●大石・●遊佐:あはははは。
気持ち的にミュージシャンになったのは
おそらくデビュー後5年、6年、いや10年くらい経ったあと(柳原)
●大石:20年くらい音楽をやらせてもらってるんですけど、最近、転換期じゃないですけど、音楽を奏でることに対して考え方が徐々に変わりつつある感じがあるんです。音楽やってて幸せなのかどうかを、改めて自分に問いかけるような時期というか。そういうことを考えたこと、ありましたか?
●柳原:僕は予期せぬところでテレビに出るようになっちゃって。僕のなかでは公民館で月に一回くらい集まってやれればいいかなって思ってたんだけど。新曲できたよーとか、インディーズでCD出そうかーとか、そんなノリで時が過ぎて行けばいいと思ってて。普段は喫茶店の店主でもちょっとやりながらね。
●遊佐:わかる、わかる。
●柳原:でもなんか急に、ある意味、人生設計の変更を余儀なくされてしまったんで。だからほんとにミュージシャンを目指す方からすれば、私なんかミュージシャンになっちゃいけなかったんですよ。
●大石:いやいや世の中がほっとかなかった。
●柳原:そういうかっこいいことでもなかった(笑)。だから僕も94年頃かな、歌ってることにリアリティが感じられなくなってきちゃって、なんか噛まなくなってきたんだよね。ほんとに噛まないとしか表現できないんだけど。そうするとやってる自分、歌ってる自分が嘘に見えてきて、ただの嘘っ子ちゃんみたいになってきちゃって。それから一個一個のライブを大事にするようになったかなあ。で、大事にするために新しい曲を書いたりすることを地道にやってくしかないのかなあって。そう思うと気持ち的にミュージシャンになったのは、たぶんずーっとあとですよね。おそらくデビュー後5年、6年、いや10年くらい経ってからじゃないのかな、ミュージシャンと呼ばれてたいって気持ちになったのは。それまでは嘘っこちゃんって感じ。人を驚かせることだけが趣味っていう。
●大石:めちゃくちゃ驚かされてましたけど(笑)。
●遊佐:でも魅力的な驚かしだから(笑)。
●大石:柳原さんですら自分ではコントロールできないところがあったと知って、逆に僕は励みになります。
●柳原:えー、すごくコントロールされてる感じがするよ。コントロールの鬼のような。
●大石:やめてくださいよ。
●遊佐:それ、わかる。だってアコギ1本ですごい世界を作っているから。最初、ループ入ってるのかな?って一瞬思ったくらい、すごいな~と思って見てました。
●柳原:そうそうそう。
意思の疎通に全く問題がなさそう
こんなに大船に乗った気持ちになったのは初めてかも(柳原)
●柳原:このイベントはセッションも大きなポイントなんですけど。大石さんとは大石さんの曲と僕の曲を1曲ずつセッションさせていただいて、みもりんともみもりんの曲と僕の曲を1曲ずつセッションさせていただいて。そしてすみません、最後に一緒に『さよなら人類』を歌っていただければと。
●遊佐:歌う歌う、楽しみ~。
●大石:もちろん歌います! 嬉しい~。
●柳原:で、ライブのとき僕はずっとステージにいます。
●大石:え────────っ!
●柳原:そこもこのイベントの変わってるところで(笑)。ステージにソファがあって、そこでお茶を飲みながらずっと見てる。
●大石:うわ~、めちゃくちゃプレッシャー。
●柳原:僕もね、ほんとはすごい疲れるの、休めないから(笑)。
●大石:後ろでスタンバってるわけですね、僕にとっての神様が。
●柳原:いやいや楽しく見てるだけ。
●大石:でも僕、柳原さんの曲でセッションしたい曲、いろいろあります。
●柳原:ありそうだね。
●遊佐:絶対あるよね。
●大石:わがままを言えるんであれば僕の神盤『ひるね』の収録曲からやらせていただきたいです。『牛小屋』とか『お経』とか。
●遊佐:楽しみだねえ。
●柳原:ちなみに『お経』はオックスフォードで1曲目に録音した曲です。
●大石:えーっ、あれが1曲目ですか!
●柳原:あ、『ひるね』はフランスのトゥールーズでも録ってる。『マリンバ』と『海にうつる月』だったかな。
●大石:え────────っ! ちょっとまたドキドキが止まらなくなってきた。
●遊佐:私ね、『夏がきたんです』を2人で歌えたらいいかなって。
●柳原:かしこまりました。
●遊佐:あとね、ウケるだろうなって思ったのは『やなちゃんのワカンナイ節』。
●柳原:ぶっ。なんで知ってんの!?
●遊佐:この曲が入ってる『小唄三昧』(柳原陽一郎 10thアルバム)、大好きだから。
●柳原:ちょーっと衝撃! みもりんが歌う『やなちゃんのワカンナイ節』、いいなあ~。あのさ、この『ワカンナイ節』みたいな曲って誰も褒めてくれないんで。
●遊佐:えっ!? ほんと? だって『小唄三昧』のライブもすーごいよかったよ。メンバーも素晴らしかったし。すごくいいなと思って。他の曲も好きなんだけど、自分が歌うというより聴いていたい感じなので。歌いたいのは『やなちゃんのワカンナイ節』。
●柳原:じゃ、『やなちゃんのワカンナイ節』で。いや~、こんなに大船に乗った気持ちになったのは初めてかも。今回は意思の疎通に全く問題のなさそうなメンバーなので。助かります、ありがとうございます(笑)。
『ピテカントロプスになる日 vol.6 Have a good day!~春待つ君に捧ぐ歌~』
■出演:大石昌良 / 遊佐未森 / 柳原陽一郎 ※ 五十音順
■開催日程
2022年 3月17日 (木)
18:00 OPEN / 18:45 START
■会場:duo MUSI EXCHANGE
■来場チケット料金:前売り ¥4,500- / 当日¥5,000- ※全自由 ※ドリンク代¥600別
大石昌良 Masayoshi Oishi
2001年に「Sound Schedule」のVo.Gtとしてメジャーデビューして以来、音楽家として数々の作品を残す。その突き抜けた透明感のある声と、心の琴線に触れる言葉や卓越したメロディセンスが評価を受け、当時新人バンドとしては異例のミュージックステーションなどのTV音楽番組出演、そして全国のフェスに参加。
2008年には「大石昌良」としてソロデビュー。その唯一無二の卓越したアコースティックギターの弾き語りスタイルは圧巻。まるで手品のような手さばきに「右手の魔術師」や「ひとり遊園地」など、人によって形容は様々。全国のライブフロアのみならず、YOUTUBEやニコニコ動画などのインターネットソースでも話題を呼び、若い世代からも大きな反響がある。
遊佐未森 Mimori Yusa
宮城県仙台市生まれ。1988年「瞳水晶」でデビュー。
澄み渡るヴォイスときわめて独創的な音楽観が紡ぎだす歌の数々で、
日常に陽だまりを映し込む。ライブ活動も精力的に行い、季節感に彩られた
リラクゼーション効果の高いステージを展開中。
代表作に「地図をください」(カップヌードルTVCMソング)、「クロ」(NHK『みんなのうた』)など。
国立市立国立第八小学校の校歌をはじめ楽曲提供も多数。
通算20枚目となるオリジナル・アルバム『潮騒』では彼女の声に特化した
新しい室内楽としての新機軸を開拓、デビュー33年を超えてなお、
身体トレーニングや発声法など進化を続けている。
デビュー当時から変わらない和菓子好きとしても知られている。
HP:https://www.mimoriyusa.net/
柳原陽一郎 Yoichiro Yanagihara
1990年にバンド“たま”のメンバーとして『さよなら人類/らんちう』でメジャーデビュー。1995年にソロ活動をスタート。日々雑感を平たい目線で捉えつつ、心の機微をファンタジーや言葉遊びに託した歌詞は特にユニークで、おおらかでペーソス漂うボーカルとともに各方面より賞賛されている。ジャンルを問わないセッションも精力的に行い、2012年からはバンド、オルケスタリブレによる『三文オペラ』に全曲の訳詞とボーカルで参加し、新たな魅力をアピールすることとなった。2015年1月にはデビュー25周年を記念して柳原陽一郎としては初のベストセレクション・アルバム もっけの幸い』をリリース。2021年4月にはキャリア初のピアノ弾き語りスタイルでの録音による、通算10作目のアルバム「GOOD DAYS」をリリース。
好きなものコト) 阪急2300系電車、夏目漱石、水餃子、焚き火、カレー、ジョン・レノン、湯治場、阪神の平田二軍監督、頑丈なギター、山田五十鈴、青江三奈、荒井注、マクセルのカセットテープ、成瀬巳喜男の映画、琵琶湖疎水、時刻表、ダイヤモンドクロス など